縄文スピリット祝祭をライブのテーマにしたのが6年ほど前のことです。
祝祭とは「生かされている命を祝うこと」。当初は実感としてわかりませんでした。
一人じゃなく、「ライブの時間を通した一期一会」をステージ客席みんなで分かち合えば、
参加者それぞれに生まれる何かがあるのではないだろうか。という思いがありました。
その頃。上川さんに久保さんが加わってくれて「参SUN」が誕生しました。
このメンバーなくして実現しなかっただろうと思います。
一回一回温めるように、ステージを重ねてきました。
演奏はホールの時もありますが、砂利の上に板を貼った場など様々でしたが、
参SUNの久保さん上川さんは、いかなるシーンにも演奏者の本気がありました。
私は客席とステージ側、両方から学びながら今日に至っています。
数年前、田んぼと畑に生きるご夫婦と出会いました。
ご主人が作る米や奥さんが作る野菜を口にした時、身体の中がぽかぽか温かくなり、
「食は愛」という言葉が湧き上がりました。
「米粒が生まれる一週間は、出産を待つように静かにしている」と聞いた時、感動と同時に
無農薬で米作りをする田んぼの世話は半端ではないのだと思いました。
ところで私は、10年ほど前から、縄文時代の文献「ほつまつたえ」を清藤直樹先生より学んできました。先生の探求は今もって衰えず、毎回熱い講義がつづいています。
ある日のこと、
「あのなーわしな、これまで好きな言葉はいっぱいあったんやけどな」(縄文時代の古文書ほつまつたえにある文節中の一つ「あがつまアワやヤ」のことです)
「今これが一番好きやねん。まやさん、あんたこれに曲をつけてくれへんか」
一年ほどかかり、リクエストのメインに曲をまやが作曲、短いので前後どうしようかと
思っているところに久保さんが前後部分を作曲してくれて。コード(和音、音の重なり)はこれがいいのではと上川さんが提案してくれ、
感謝の喜び歌として完成したのが、
「祝い歌ーあがつまアワヤ」です。
「カクノキ 枯れても におゆ しおれても よや
あがつまアワ あがつまアワヤ
しおれても よや あがつま アワ
もろかみは 岩戸のまえに かしまどり
これど 常世の長さきや」
説明は長くなるので、また次の機会に話しますが、意味はー我妻(わが妻であり夫)よ、永遠に感謝しているよ。たとえ香久の木(橘の木)が枯れても萎れてもなお、あなたは永遠だと。
縄文文字ヲシテ文字のアは(天)、ワは(大地)という意味です。
参SUNは「縄文スピリットー祝祭」(祝祭とは生かされている命を祝う)
をテーマにライブを行っている間、私は、癌と狭心症が発覚、生まれて初めて入院手術を経験しました。
結果的に、祝祭ー生かされている喜びの意味が、戴いたギフトだったように思います。
このテーマは、今回で一区切りとして、「命の地球と共に生きる私たち」の視点からさらに深めていきたいな。と思う今日です。
1日に1回地球の周りを回っている月は、太陽の方向だったり逆だったりして、満月や新月になるのだそう。科学的解明はされていないようだけど、
私たちは地球がないと生きていけないシンプルなことを忘れているような気がしています。
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