しばらくぶりのブログです。
この間、ずっと覗いてくださっていた方々、ありがとうございます。
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「身体に纏わりついた思考は、水に流す」
「水に流す」とは、
慣用句では過去の汚れ、よくない出来事を水で洗って流してしまうのだそうです。
耳や目から入り、思い煩っている思考を洗い流してくれるものなのでしょうか。
コロナ禍のここ数年、心を掻き乱す情報に、引きこもりたくなる時が度々ありました。
私は頭の中が思考で詰まってくると滝場や温泉に行くことにしています。自宅からだと
3〜5時間かかる滝場。主に和歌山、奈良、三重の三県をまたぐ熊野には、自分に合っていると思えるお気に入りの場所がいくつかあるのです。
今年5月末、「隠れ滝」に案内してもらいました。奈良吉野上北村白川の滝谷川にある(落差105m)滝は、国道から100mほど離れているところに滝壺がありました。詳しい友人に案内してもらわないと辿り着かない場所です。途中、猿や鹿、鎌首をもたげているヤマカガシが道路中央に。ほとんど車の往来はありません。
滝の前に寝っ転がるにはちょうど良い岩場を見つけて、流れ落ちる滝の音を聴きながら
昼寝。20分ほど経った頃でしょうか。目を開けると、そそり立った絶壁に新緑の野草や開花した笹百合たちが風に揺れているのが見えました。
滝から落ちる水飛沫がミストシャワーとなり身体に触れて、なんとも心地よいのです。
すっかり頭の中から思考が消えていました。
温泉は、滝場とセットにしています。この日は気になっていた十津川にある湯泉地温泉へ。
昔、一度入ったことがありました。熱くて10分ほどで出てきたのですが、疲れがすっかりとれているなと不思議な感覚を覚えていて確認したかったのです。
やはり熱くて10分ほどで出ました。帰りも何かが身体から抜けた感じでした。
滝場にしょっちゅう行けるはずはないので、
普段は「温泉瞑想」と称して、近所の銭湯に行きます。
私が暮らす神戸には、温泉である銭湯が結構あります。
よく利用する銭湯は大人450円。寄り道入浴600円(タオル、バスタオル付き)。
気軽に温泉瞑想の時間を持つことができます。
思考は大抵、過去の後悔や未来への不安などに陥って引きこもりたくなる状態のことで、
今ココにいる私ではないのです。いわば洞窟に引きこもっていたい心境、わかってはいても何度も繰り返すのが私たちです。それでいいのだと私は思います。今ココに還ってこられるのだということを知っていれば大丈夫なのです。
まずは、身体を水で流して、お湯で緩めましょう。
だんだんと思考が離れていって、頭の中の霞が少しづつ流れていきます。
水の音を聴きましょう。銭湯といえど、水は自然の中の生き物です。
思考が遠のいて安心を実感します。
やっとここからが「温泉瞑想」です。
安心すると、生かされているな。有難いな。という思いがじわじわと
湧き上がってきます。
お盆は仏さまが帰って来られるといわれています。
恩人と最後に会ったのは暑い夏の夜でした。優しい笑顔が忘れられません。
今でも、会いたいと思います。
私は仏教徒ではないですが、
あの世とこの世の境目は、姿が見えないところでしょうか。
寂しいと思う時、静かに思い出に浸ってもいいと思うのです。
また、明日から切り替えるってことで。
元気で笑って生きてるってことで、安心してもらえると思うのです。
素敵です♪