林道に停めた車を降り、急斜面をへっぴり腰で転げ落ちないように滝場に降りて行く。突然岩肌を激しく水が打ち叩いている姿が現われた。鮎返しの滝だ。鮎も滝を越えられない名前の由来だとか。一旦転ぶとそうやすやすとは家には帰れないだろう。狭い林道に救急車が着く頃には相当時間がかかるだろうな。そんなことが頭によぎる。
友人の案内で和歌山県田辺市にある大塔渓谷へ行ったのは昨年一月のこと。大塔渓谷は川湯温泉大塔川上流にはいくつも滝がある。その一つ「鮎返しの滝」に向かうことに。とはいうものの自然の場は思い通りにはいかないことを私たちは承知していた。
車一台しか通れない細い林道。尖った落石に気をつけながら走ること30分ほど奥深地へ進んでいく。林道脇に「鮎返しの滝」と小さな案内板が光って見えた。
水場までやっとのことで降りた。妖怪のような黒光りの尖った岩が水飛沫を浴びている。
私はお尻がようやく安定する岩を探し座った。
しばらくして「コーヒー入ったよ」と後ろから声が聴こえた。振り向くとステンレスのカップを手に持った友人が笑っている。
「ありがとう」受け取った熱いコーヒーから白い湯気が立つ。寒さと緊張がほぐれたのは口に含んだ一瞬だけ。すぐに怖さが戻ってきた。
半年後、一月以来、時々出血していた私は街の産婦人科を受診し同時に細胞診検査を受けることになった。後日、結果を聞くと、医師は深刻な顔で私に向って、
「一刻も早く大きな病院で検査を受けてください」と促した。
その夜クリニックを開業している友人から電話があった。
医師をしている彼女とはウマがあうのか、時々旅したりする仲間だ。
待ってたかのように、細胞診検査結果や産婦人科医とのやりとりを聞いてもらった。
「明日仕事終わりにウチにくる?ハイパーサーミアを体験してみて」と彼女が言う。
ハイパーサーミアとは、患部に温熱を当てる機械のこと。彼女から聞いていたので知っていた。
ハイパーサーミアを二度受け紹介状を持って市民病院へ行くと。すぐに検査にまわされ、結果はその日に出た。
子宮体がんの検査結果はステージ1aという。軽くすんだ。内心ほっとした。
閉まりかけの電車のドアに駆け込んだって感じだったから。ハイパーサーミアの効果なのかもしれないな。って思った。
蝉の羽音が病室まで聴こえる賑やかな7月某日、手術室の前にいた。子宮全摘、卵管切除するロボット腹腔鏡手術を受けるのだ。身重の娘と一歳の孫が来てくれていた。
手術室に入る扉の前で、若い看護師が(なにげなくであろう)私や家族に言葉をかけた。
「ご家族さまとは、ここで最後になります」
「えっ、ここで最後?」無言で身重の娘と笑っていたが、
どこかで「死」を身近に感じる私がいた。
私には特に悲壮感は持っていない。好きに生きてきた私は、
人生はすべて自己責任だと思っている。自分の意志で決めてきたのだから。
他人任せ、医者任せにはしないことにしている。
素直にアドバイスを聞き、最後は自分で決めて、流れに乗る。
遊園地の乗り物に乗っている感じで生きてきたように思う。
大塔渓谷林道を少し上流に進んでいくと、「神保」という小さな看板を友人が指さした。
車を降り緩やかな坂を進むと、静かな水辺に着いた。
流れているはずの川の水が止まっているように見える。水音も聴こえない。どこまでも透明でまるで鏡のような世界。惹き込まれた。
あの世なのか、この世なのか、境目がわからない。
「死ぬならここで死にたいな」と、思った。
美しい水辺に立ったまま、私はその場を離れられなかった。
静寂とはこのようなことなのか。これまで見てきたものはなんだったのだろう。
なんて清らかで美しい水なのだろうか。
阪神淡路大震災で全壊被災を経験したのも一月。身体は総毛立ち寒さも痛みも全く感じない、本能的に子どもを抱き、瓦礫の中から逃げたことを思い出した。
この時の行動は危険を察知した動物のようになっていた。
「あの世とこの世の境目がわからない」という感覚。境目が見える数ヶ月は、
この世を生きている実感がわかない時間だった。
「鮎返しの滝」「神保」この二つの特徴は、「厳しさ」と「清らかさ」だろう。
異なるけれど大自然の絶対的な姿であることに変わりはなく、どの世界にも二極は存在し、分析などご法度かもしれない。
人は誰でも生まれて必ず死ぬ。誰にもどうすることもできない大自然の約束事なのだ。
一年と数ヶ月ぶりに「神保」を訪ね、再び川縁に立った。
「今どこにいるのか?」水に問われたような気がした。
「わかっている」と答える私。
一瞬であの世に行っても不思議ではない「境目」は怖い。
怖いけれど、受け入れるしかない掟のようなものがあるのではないだろうか。
命の長さが、誰にもわからない理由ではないだろうか。
とにかく思い通りにはならないのだ。
地球でしか生きられない私たちは、大自然に従うしかないなと思う。
自然の在りようを素直に「受け入れる」
「死」に直面したことで、人生の意味が深まったような気がしている。
私にとって、大きなギフトだった。
顔を上げ、森の木々を見渡すと、風が小さな葉を揺らしている。
生まれくる命の歌が聴こえたような気がした。
母親となった娘。二人の小さな子どもと接する姿を見ていると、本当に微笑ましい。
娘が小さな頃はさみしい思いをさせたと思います。
幼かった頃の娘へ。二人の孫へ。世界中の全ての子どもに向けて作った歌です。
「エリーの子守唄」
川は なぜ 海に流れる?
雨は なぜ 泣いているの?
雷は なぜ うるさいの
星は なぜ 輝いているの?
海の水は お空に 昇り
一粒の 雨の姿で
森の木々を うるおしてから
また 海へ 帰っていくの
人は 大地から 生まれ
たった 一つの 道を みつける
迷った時 戻っておいで
清らかな 水のほとりに
迷った時 戻っておいで
清らかな 水のほとりに
作詞作曲 まや はるこ
Comments